あの人はバブリーな美人OL
今、OLさんなんて言葉で呼ぶことはあるのだろうか。
ましてや美人OLとかね。
女性蔑視にルッキズム。感慨深い昭和のバリューセットだわね。
まぁ、マトモなメディアならそんな言葉使わないわな。
でも良いの。
彼女はその昔バブルのな街をブイブイ言わせて遊び歩いていた人。
OLさんって呼んだって良いでしょう。
私がそんなイケイケな彼女と出会ったのは、展示場でバイトをしていた2000年代前半の事だもの。
美人OL蓮沼さんと一緒に働いていたのは少しの期間だったけども、すごく面白くて魅力的な人だったので私はよく蓮沼さんの事をよく思い出すのよね。
『蓮沼さんの歩いた跡は、草も生えない』
よくそう言われていた。
美人で毒舌で話も面白い。
昔「おやじギャル」なんて呼ばれた人たちがいたけど、
それに近い人かもね。
だけど蓮沼さんときたら、口は悪くともどこか品が良い人だった。
時折育ちの良さがちらつく人で、っというのも実家も地元じゃ有名な良いところのお嬢さんだったのよね。
そして旦那さんだって高給取り。
さらには胸まで巨大ときたもんだ。
なかなかあの人に逆らえる人はいないだろう。
偉いおじさまたちも全く頭が上がらずだったものだわ。
蓮沼さんはよく私にバブルの頃の話をしてくれてね、私はその話を聞くのがすごく楽しかったの。
彼女は私をすごく可愛がってくれて、仕事帰りによく食事に連れてってくれたりしたものだわ。
安い居酒屋なんて絶対行かない人だから、いつも洒落たところに連れてってくれたのよね。
ほぎっちってさぁ、堅実よねーー
アタシがその年の頃なんてもう毎日メチャクチャやってたわよー
(※ほぎっち バブルっぽいあだ名をつけられていた)
あの頃はさ、ボーナスに150万もらって、70万のエステ行ってたんだから!
アタシってバブル世代だからすっごい意地悪なの!
あの頃の若い女は意地悪もイケてる女のステータスだったのよね
なんで出世したいなんて言う女がいるんだろ?
アタシはお茶汲んで、見積もり打って、定時に帰ってる人生が一番Eーわ!
確かにこの国の女性の地位が低いのは、男性だけのせいではないな、と感じる日々であったけどもね。
そして私は年を重ねるごとに、
あの頃の蓮沼さんと同じ年代になったんだな、とか。
もうあの頃の蓮沼さんより年上になっちゃったな。とか、
人生の節目節目で彼女の事を思い出すのよね。
そして母になった節目でも、
やっぱり彼女の事を思い出すの。
知らずに過ぎていった青春
私は割と走るのが好きで、社会人になっても、土日というと近くの競技場の周りや、河原の土手、海岸沿いなどを気ままにランニングしているの。
でも妊娠して子供が産まれて、しばらく走れない生活があったんだけども、子供もまとめて寝てくれるようになったり、パパからのミルクもよく飲んでくれるようになったのを機に、また走ろうっという気持ちになったのね。
じゃ、よろしくね。
久しぶりだから20分くらいで切り上げてくるから。
さいーなら。
っと、乳飲み子をパパに預けて、意気揚々と飛び出してったわけ。
ところが、ね。
全然ダメなの。
全然うまい事走れない。
どうなってるの、コレは!!
私ったらひどく混乱したわ。
それは、妊娠・出産期間のせいで体力や筋力が衰えたからではなくてだね、
ブルンブルンいっちゃって走れないのよ。
私の胸が、ブルンブルンいっちゃって走れないのよ。
私の胸がブルンブルンぶら下がって振り子みたいになっちゃうから、うまく走れないのよ!
ちょっと痛いっちゃ痛いし。
どうしたことか・・・。
え、、、ひょっとして、胸が大きいと走れないの・・・?
私は自他ともに認める真正の貧ぬーのため、まったく気がつかないまま中年まで至ったけども、まさか自分の身体の一部である胸が走るのにこんなにもジャマだったは!
全然知りませんでした、すみません
授乳中の今、私の胸はボインボインの夢のボリュームを誇っている。
見た事のない自分の姿に歓喜し、水着写真でも撮っておこうかな、なんて浮かれていたがけど、まさか走れないという盲点があったとは。
かつてスポーツに青春をかけていた女の子たち。
みんなこんな悩みを抱えていたのかしら。
私は第二次成長期を経ても、胸がさっぱり育たなかったから、女子なのに女子の気持ちがわからなかった、そんな人生だったなんて。
胸が無い事には悩んでたけどもね。
試合のときは生理が漏れないか(昔のバスケ部のパンツは、ブルマーぐらいの丈しか無かったし、わが校はスパッツもダメでした)、わき毛ちゃんの処理とかみんなで心配しあってたけど、
本当はみんなは裏コッソリ私のいないところで、胸の処理についても話していたのかもしれない。
私だけ青春の一部から置き去りにされていたの・・・?
青春・・・?
は・・・!
乳のデカい青春、
は、蓮沼さん。
私はパズルのピースを見つけたような気がした。
俊足の美人OL
アタシ、陸上の短距離で県大会で3位だったのよ
美人で金持ちで面白くて胸がデカくてバブリーな蓮沼さんは、足まで速かった。
『それはすごいですね、
高校は陸上の推薦とかでいかなかったんですか?』
うーーん、中学で辞めちゃったんだよね
『ああ、高校入ったら遊びたくなりますもんね』と、私。
そういうわけじゃないんだけどさ、
なんかね、色々めんどうでさ、辞めちゃった
火の玉ストレートな蓮沼さんとは思えない歯切れの悪い調子に、そのとき何となくそれ以上聞かない方が良いような雰囲気を感じたの。
その後蓮沼さんと連絡も取らなくなって、10年以上経っても、私はそのとき感じた違和感を忘れる事はなかったわ。
母になるとわかる事、たくさんあるよね。
母の心配、母の偉大さ、母のジレンマ、母の幸せ、
そして授乳中は胸がブルンブルンになって、走りにくい。
そうだったのか、と。
そうだったんですね、蓮沼さん。
アナタが陸上を辞めたわけ。
それは胸が巨大化したからではないですか。
成長期では痛みもかなりあった事でしょう。
もちろん本気で陸上を続ける気があれば、対策があるのでしょう。
その対策は必要ない私には誰も教えてくれなかっただろうがね
だけど、あのとき蓮沼さんが言ったように、面倒になってしまったんだろうと思う。
変わっていく自分の身体、決してラクではない陸上の道をさらにハンデを抱えて歩むのか、そこまでして本当に陸上をやりたいのか、視線は気にならないだろうか、ほかにもやりたい事はみつかるんじゃないか。
何かがストンと落ちるように、気持ちがふと冷めてしまったのではないかしら。
蓮沼さん、
私は母親になって、やっと
あの頃のアナタの真実に出会えた気がします。
10代の少女が、大きな力に立ち向かう事を諦めるのって、
何だか悲しい気持ちになりますね。
そして再び現代
胸のブルンブルン問題から部活の仲間らにおそらくハブられていた私だけども、時を経て、私もその難題に立ち向かう事になったわけだ。
しかしだ。現代ではインターネットで一発だ。
ハブられたって屁ーでもないわよ、平成の子娘どもめ。
そんで私が調べた中で、ワコールのCWXがよろしいんじゃないかと。
スポーツするとき着用するブラね。
んで早速購入すると、装備するのがだいぶ大変だ、きっついきっつい。
でも着てしまえば、抜群の安定感に包まれる。
ビシッと押さえつけて少しもブルンブルンさせない。
なんとグレートな商品なの?
『じゃ、よろしくね。20分くらいで切り上げてくるから』
と、今度こそ爽快に駆け出して久々にランニングを謳歌した私。
蓮沼さん、CWXはどうでしょう?
と言わんばかりに虹を駆け抜けた。
育児もオッケー。ランニングもオッケー。何も問題無し!と
私は無敵になった気分だったけど。
でも離乳食も始まり、授乳量がグンと減ってからは、私の胸はすっかりブルンブルン言わなくなっちゃって。
装備するのに大変だし、およそ半年で着なくなってしまった。
下の子の出産後にまた日の目も見たけれど、子供が二人となるとさすがにランニングになかなか行けることも少なくなり、すっかり使わなくなってしまったわ。
そして元の貧ぬー人生に戻り、ガバガバのブラトップを着て、せこせことナイス・ランを重ねる日々よ。
でも捨てられなくて取ってあるけどね。